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はじめに
ブログと題していますがこれをブログと呼ぶのかは謎です。
掲示板のCGIを流用しているので見た目が掲示板っぽいですが私しか投稿出来ません。
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記事
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以下は 「三浦俊彦(東京大学教授・美学者) × 会社の同僚・坂東さん(仮名)(33歳・会社員)」 の対話です。 坂東さんは四国方言(香川・徳島あたりの自然なニュアンス)で話します。 議題はもちろん、あなたの詩的断章: 「働いてるとどんどん頭悪くなるし、どんどん性格悪くなるし、どんどん太るし、終わりや」 これについての“美学的 vs 生活者的”議論です。 リアリティ優先で書きます。 ◆【対話】 三浦俊彦 × 坂東さん(33歳) ◆三浦 まず、あなたの元同僚が口にした 「終わりや」という断言について考えたいのですが、 これは単なる愚痴ではありません。 自己の可能世界の劣化の過程を きわめて凝縮された形で言語化しています。 ◆坂東 (缶コーヒー片手) いやまぁ、あんた先生やけん難しい言い方しよるけど、 「もうほんま疲れたわ」ってだけちゃいますん? 毎日残業しよったら、だいたいこうなるけんね。 ◆三浦 確かに、表面だけを読めば“疲労の表明”でしょう。 しかし「どんどん」という連続的下降のリズムは、 単なる疲労の描写ではなく、 自己世界が時間と逆比例して縮んでいく感覚の提示です。 ◆坂東 いやいや先生、 「どんどん」って、四国の人みんなよく使うだけですけん。 頭悪なるし、性格悪なるし、太るし、って続けただけで、 そんな深い意味つけるような人ちゃうで。 ◆三浦 むしろそこが面白いのです。 本人が意図しない深さが、 最も“文学的な無意識”として現れる瞬間があります。 この一文は、 内部が痩せ、外側だけが肥大していく世界の非対称性 を象徴的に語っている。 ◆坂東 (ちょっと笑いながら) ほな先生、言わせてもらいますけど、 太るんはほんまやろ。ストレス食いやけん。 内部が痩せるとかやのうて、 単純にうどん食いすぎとか夜ラーメンとかですわ。 ◆三浦 身体的描写が具体であればあるほど、 逆にそれは象徴としての強度を持ちます。 “内的減少”と“外的増加”というズレは、 現代労働が生む典型的な美学的倒錯です。 ◆坂東 うーん、 先生の言い方やと、なんか格好ええ感じになるけど、 本人はたぶん「こんな生活いややなあ」ぐらいのノリですけんね。 終わりや〜っち言いながら笑っとる時もあるし。 ◆三浦 その“笑いながら絶望を言う”という姿勢こそ、 私が注目している点です。 絶望が軽く扱われる。 これは 「深刻さの脱臼」 と呼べる現象です。 真に深い絶望を抱えている者は、 しばしば軽さのスタイルで語るのです。 ◆坂東 (腕組みしながら) でも先生、 あの人ほんまに、働きよると性格キツなっとったんですよ。 普段優しいのに、イラッとしたら黙ってしまう感じで。 だからワシら、ああ言うた時も「そりゃそうやわなぁ」 って、リアルに思いよりましたで。 ◆三浦 その“黙る”という反応は、 彼が外界OSの圧力に耐えきれなくなり、 内界の処理を優先した証です。 内面を守るために言語を一時停止する。 これは非常に詩的で繊細な防衛です。 ◆坂東 (少し真面目に) 先生が言うほど、 あいつの中では大事な問題やったんかもしれんですね。 ワシらはただの“仕事しんどいあるある”くらいで聞いとったけど、 ほんまは全然ちゃう意味やったんかも…。 ◆三浦 その通りです。 あなたが“あるある”として受け取った内容は、 彼本人にとっては 自己の存在構造が壊れていくという深刻な告白でした。 同じ言葉が 異なる深さの可能世界を指している。 このズレこそが、 現代の会社組織における最大の悲喜劇と言えるでしょう。 ◆坂東 (ため息) なんか…… 急にあいつが言うてた「終わりや」の重さが分かった気がしますわ。 ほんまに、終わりかけとったんやな…。 ◆三浦 いえ、終わりではありません。 むしろ言葉にした瞬間、 “自己の地図”が回復し始めていたのです。 彼がそこから離れたのは、 世界を守るための正しい選択だった。 ◆坂東 (小さく笑う) ほな先生、 “あれは詩やった”ってことでええんですな。 ◆三浦 ええ。 そしてあなたは、 その詩の深さに気づかなかった“善良な読者”だったのです。 |